neconekaの日記ふぅ

親の介護エピソード・日々の出来事・自分の声・時々猫

親の介護中 Ⅰ 介護が始まる

 

親の介護中      

6年前に仕事を辞め親の介護を始めました。
仕事は訪問介護で、朝早くから夜遅くまで勤務 休日出勤もあり 旦那もほったらしの生活でした。実家は自宅から車で7分程度のところでしたが、月に1度顔を出すか出さないかでした。

 

ある日実家に行くと両親が急に歳を取った感じに見えました。仕方が無い89歳と84歳だ(当時)から…それでも様子がおかしい。父は15年ほど前から難病(後縦靱帯骨化症)を患っており歩行が徐々に不安定になってきている。転倒もしているらしい。

 

母の様子が違う。顔面に指を三本当てる仕草が何度もある。
ふぅむ?不自然。介護の仕事をしていて、認知症の人を多く見ているのでひょとしてと思い、後日両親を脳外科へ連れて行きました。

 

クリニックでMRIの装備があり、認知症外来もあるところでの診察。MRI認知症テストをしました。母は書き事が苦手な人なので嫌がると思い部屋に入るまで黙っていました。

 

後日結果を聞きに行くとやはり母は、アルツハイマー認知症と診断され、ドクター曰く「このまま進むと徘徊しますよ」はぁ~そこまで言わなくても…

認知症は日頃から聞き慣れた言葉だったが、自分の親が…この先が大変だ!


この頃私は、仕事、人間関係に疲れていたので、親のことは看取る迄自分が介護をしていくと決めたのです。仕事を辞める口実にしたかったのだと思う。そう考える事で、仕事から逃げることができ、スッキリする。と言い聞かせていた感があり、冷静でいられたのだと思います。収入は無くなる、どうするねん!?深く考えなかったぁ

 

父は認知症手前とのこと、助かった!二人同時はキツい!私は一人っ子

 

認知症の軽い間に、二人の状態が悪化した場合慌てず介護負担を軽減できるようにしておく事を考えました。

 

まず、父と母二人のケアマネージャー(以下ケアマネ)に相談しデイケアへ行くように手配していただきました。この頃要介護と要支援なのでケアマネは二人

 

父はそれまで違うデイサービスへ行っていたが「もう行きたくない家に居てる」と言い出したので、そこを止めてから家に居てることが多くなり、朝・昼・夕の食事の用意、家事全般は母がしていました。母は昔から貧乏性なのか、動いていないと落ち着かない人で本当に頑張ってやってました。感心します。

 

入浴は自宅の風呂にて入っていたが、これも母の介助がありました。どこまで父の世話をするねん?!

 

父も申し訳ないと思いつつ、自分の身体が思うように動かないから仕方なく世話してもらっている…でも昔の男のスタイル「あれーこれー」と一言言えば母が動くのでなんでもやってもらえる。

あ~見ていてしんどくなるし腹立たしい!

 

何度か父に言った。「おばあさん(孫がいつも言っていたので、私までこの言い方になる)もしんどいんやから」父「手も動かへんし、足もあかんし、何にもできへんからしょうがない!」これだけ言い返すことができるのはまだまだ元気な証拠 ふぅ~。諦めた。

 

入浴介助は母に代わって私がするようにしましたが、最初父は恥ずかしそうだった為、母と工夫、分担するようにしました。その後徐々に慣れてくれたので、私一人で介助していました。

 

デイケアに週3回行くようになってからは、ほとんど家の風呂は入ることが無くなりました。でも祝日、お盆、正月は休みなので、数日入浴なしの日が続いたりする時は家のお風呂に入ってもらい介助しました。

 

そうこうしてる間に父のADLが低下し、杖歩行もできなくなってしまい、ほとんど車椅子での移動になってしまいました。失禁・転倒も多くなり失禁の対応としてリハパンは2回分→4回分に変更 尿意があるので、ポータブルトイレに移乗介助していました。介護の仕事をしていたのでコツは分かっているので、なんとか移乗は何事も無くできました。

ヘルパーさんの訪問が無い時はモーニングケア(オムツ→清拭→リハパン→ポータブル移乗→更衣→洗面所へ移動→入歯装着→洗顔はなんとか自身でしていた→食卓へ移動→エプロンをする→食事は自身でスプーンorフォークでしていた→服薬→入歯洗浄 等)と

就寝ケア眠剤服薬→洗面にて入歯洗浄等→尿意がある時はポータブル移乗→ベットへ移動→リハパンからオムツに交換→更衣→ベットの高さ調整 等)をしていました。

 

                  父 重い~ 疲れたぁ~    

 

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転倒した時は大変で、床に直接寝ている状態から車椅子(家用)に移乗するか、ベットへ移乗しないといけない。父は骨太で重たく一人では無理がありましたが、工夫をしてなんとかやっていました。母は父が転倒する度に私に電話をかけてきます。私がすぐに行けない時父は床に寝たまま布団がかけてある状態で待っています。

 

入浴時、バスタブを跨ぐことができなくなり、就寝時はオムツに交換するようになりました。リハパンのままだと尿漏れがひどく、朝にはシーツ、布団がビチョビチョで毎日交換していました。尿漏れ防水シートを敷いたり、ペット用防水シート使い捨てを敷いて対応していました。

 

毎晩のオムツ交換とデイケアの送り出し時にヘルパーさんに入っていただくようにケアマネに相談しましたが、ヘルパーさん不足で毎晩は無理と言われ、私がほとんど毎日交換しに行っていました。ケアマネはまだ新人さんで訪問介護のことは勉強中のようでした。(元施設勤務)なので母や私の介護軽減はあまりされなかったです。 


ヘルパーさん不足と言う事業所だけに拘らず、他の対応できる事業所を探してくださいとお願いしましたが、されずでした。どうしてこういう対応になったのか意味がわからない?

 

その後転倒も多くなり、介助度合いも多くなり、母と父の二人暮らしはもう限界と判断せざるを得ないようになりました。

 

区分変更をかけてる間に特別養護老人ホーム(以下、特養を探し、入所申し込みを

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